3日連続で熱くヅカ語りしてしまったので
今日はクールダウンに、…アクセスも激減するw 読書ネタ いってみよう!
私の大好きな原田マハさんの作品「リーチ先生」を読みました。
第36回新田次郎文学賞受賞。
シンプルな装丁だな、と思ってたのですが
よく見ると グレー地に白抜きで バーナード・リーチの素描が使われてるんですね~♪
密かに主張してます^^
第36回新田次郎文学賞受賞作
464ページ ずしりと重たいその本を読み始めるのに勇気が要りました。
が、ひとたび読み始めれば あれよあれよという間にページが進み、
あっという間に読めてしまいました。
一人の芸術を目指す少年とイギリス人芸術家バーナード・リーチの出会い。
少年 沖亀乃介の目を通して バーナード・リーチを描いています。
バーナード・リーチ、という名前は知っていましたが 日本に住まわれ
帰国後も何度か訪日されているのですね。
亀乃介は架空の人物。 横浜の港の近くの食堂で働いていた時に
彫刻家・高村光雲の息子の高村光太郎(智恵子抄でおなじみ)が客として訪れます。
亀乃介の英語力と絵の才能を知った光太郎は 自分の家で書生になるよう勧めます。
そうして 亀乃介が高村家で書生をしていた時に出会ったのが
バーナード・リーチ、その人でした。
リーチもまた 光太郎から書生になるよう家の住所を書いた紙を渡されてやってきたのでした。
亀乃介は、通訳としてリーチと過ごす内に
「芸術家になれる素質がある。いつか海をわたる日もくる。」と言われこの人に付いていこう、と決めたのでした。
そこから リーチ先生との怒涛の日々。
エッチングをしたかと思えば陶芸に目覚め、登り窯での悪戦苦闘など
次から次への挑戦や挫折は 原田マハさんの 上手いストーリー運びで
ページを繰る手が止まりません。
日々を彩る かの 陶芸家 濱田庄司 河井寛次郎、
リーチの良き理解者でありスポンサーの柳宗悦、
柳が活動していた「白樺」の仲間の志賀直哉、武者小路実篤、
岸田劉生(麗子像で有名)も登場。
日本史や美術の教科書に出てくる有名人ばかりです!
当時の新しい芸術の潮流にうまくのったのだな~と思いました。
イギリスのウイリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動、
英国の美術館の活動など
このころすでにイギリスに留学していた日本人が持ち帰った
ヨーロッパの芸術に対する強い憧れ。
柳宗悦や高村光太郎ら白樺派の論客が熱く意見をたたかわす場面は圧巻!!
ここは 美術に造形の深い 著者の面目躍如といったところです。
楽しめました♪
そして作中では セザンヌやゴッホも「新進気鋭の若手芸術家」の扱いです。
新しい画家の手法について熱く語り合う登場人物たち。
亀乃介は 高村家をリーチ先生と共に辞して 二人で暮らし始めます。
リーチはイギリスから来た奥さんを迎え 子供ができても
彼を家族同様に 一つ屋根の下に住まわせ 導いてくれました。
その交流は本当に温かいものでした。
リーチは柳宗悦宅の庭に登り窯をつくり窯開きをしたのもつかの間
窯の火事で大切な資料も何もかもをなくしてしまいます。
そんな失意のあと、イギリスの民芸に奉仕する夫人から誘われて
家族のために故郷イギリスへと帰る決意をします。
「君も来ないか」と言うリーチに、二つ返事で行く、と答えた濱田庄司に背中を押され
亀乃介もまた海を渡ったのでした。
イギリスのランズエンド(地の果て)に近い場所で
土探しから始め、開墾し 登り窯をつくる。
血の滲むような日々、リーチ・ポタリーの完成まで、
リーチ、濱田庄司、亀乃介の奮闘ぶりは読まされました。
そのころ 亀乃介は近くのバーで働くシンシアという女給と心を交わし…
ほのかなラブも盛り込まれて、後半は目頭が熱くなる頻度UP
関東大震災を機に帰国の決意をした濱田庄司。
一方、ずっとリーチ先生といたい、シンシアと別れたくない亀乃介に
「日本へ帰りなさい」と 先生は言い渡したのでした。
イギリスと日本の架け橋になれ。
芸術家として自分の道を歩め。
そう言いたかったのです。
別れの場面が秀逸!
大きな、手。まぎれもない、陶芸家の手であった。数々の作品を作り出してきた
世にもまれな手。
この手にどれほどあこがれ、励まされてきたことだろう。
ああ、僕はーーー。こんな手を持つ人に、いつの日かなりたい。
万感の思いを込めて、亀乃介は師の手を握った。
「リーチ先生」 本文より引用
先生の手も、そして先生の心もすごく 大きくて深いのです!
シンシアとの別れも
亀乃介はシンシアの手を自分の両手で包み込みそっと唇を押し当てた、
尊く、気高く、美しい手。愛する人の手。
「リーチ先生」 本文より引用
プロローグとエピローグは 沖亀乃介の息子 沖高市(おき こういち)が登場。
プロローグでは 高市とリーチの出会いが
エピローグでは イギリスへ 父の恩師に会いに行くところが描かれています。
エピローグでは 涙ダーダー
亀乃介がなし得なかった 陶芸家として生きること。
それを 息子の高市が継ぎました。
ラストシーンは、リーチポタリーに着いた高市がそっとドアを開けると
リーチ先生が無心で 蹴ロクロを回していました。
その背中が父の背にも見えて しばらく声をかけないでおこう。と。
その背中に我が父の姿を見て じっと見つめる高市であった…完。
今、書いてても思い出して泣きそうです。
分厚いのに一気読み必至の「リーチ先生」
原田マハさんの手にかかるとあっという間に読まされて
最後は 涙で活字が滲み 胸が熱いもので満たされます。
本当に至福の時間でした。
バーナード・リーチ Wikipedia
==== 陶芸余談
余談ですので 興味のある方のみどーぞ。
20年ぐらい前、札幌に住んでおりました頃
子供が小さいにもかかわらず 陶芸をやってみたい一心で
札幌市の文化教室で陶芸を習っておりました。
月1回 3000円で粘土をもらい 成形して釉薬を選ぶところまで自分でします。
後は乾燥させて 選んだ釉薬をかけて 焼成して 次回のお教室で渡してくださるのです。
今思えば 先生の作業、大変だったろうと 気の毒に思います。
粘土の中の空気を掌に体重をかけて少しずつ回しながら抜いていく菊練りをして
手回しろくろでお茶碗や湯呑みやお鉢を作りました。
よくできた作品は 子供を預かってくれた友人たちにお礼(迷惑w)として
上げてしまい 手元には 板作りの簡単なものしか残ってませんが
パーティなどで使うのに重宝しています。
札幌時代の思い出の品です。
紫陽花の葉の型押しと 釉薬吹付け
布目
櫛目 我が家で使ってるフォーク使用w
実際の窯を観たことがないのですが
以前、ブロともさんが面白いよと教えてくださった 韓国の時代ドラマ「火の女神ジョンイ」。
女性ながら いろんな苦労に討ち勝ち陶芸家になる、というストーリーでした。
窯入れなどの作業も映っていたので
今回リーチ先生に登場する 窯入れ作業の場面など ありありと思い浮かべることができました。
一旦火をつけ、登り窯を閉じたら 今度開けるまで成功を祈るしかない、という陶芸。
火の回り方、温度、勢い その管理は寝ずの番なのです。
まさに成功も失敗も 火の神の思し召し、といったところでしょうか。
亀乃介も 窯の前に盛り塩をして 成功を祈ってました。
今は「電気窯」があるので 個人宅でも楽しめますね。
ご近所の方が持っていらして 大皿など焼いておられました。
去年の断捨離で
私が作った分厚いお鉢と お茶碗は…使ってないので捨てたような気がしますw
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