愚直なまでに「正義」を追求する主人公が活躍、は、葉室麟さんの真骨頂
316ページ、そこそこの厚さの本ですが、あっという間に読めました。
いつものことながら、読後感爽やか!
正義は必ず勝つ!
⚠ネタバレあります、ご注意ください
葉室麟さんの作品に登場する扇野藩。
今回も…財政逼迫しています。
藩のためにと強硬な策に出た郡代の檜弥八郎は、弥八郎が住む地名から「黒縄地獄」と呼ばれ、町人、農民から恐れられていました。
その改革の旗手である弥八郎を邪魔に思う筆頭家老と、次席家老の策略で切腹させられてしまいます。
両親亡き後、妹の那美をは遠縁の矢吹主馬のもとに預けることになりました。
主馬は、貧しいが秀才で、慶之助の父、亡き檜弥八郎の供をして密命を受けていました。
それは、30年前の大飢饉の真実を調べ上げることでした。
当時、葛山にあった薬草園も、食べ物がないので農民に食い荒らされてしまいました。
それを知った役人が、領地内の農民を切り捨てた事件。
闇に葬り去られていたことを調べれば、薬草とは罌粟(けし)で、アヘンを作って商人に買い取ってもらい藩の収入源になっていたのです。
主馬は部屋住みの頃、藩政改革案を書いて弥八郎に見せたところ、弥八郎は激怒して却下され、書庫で埃を被ることに。
政は家老と商人が恣(ほしいまま)にしていました。
弥八郎の長男・慶之助は、代替わりの際に新藩主・仲家の側用人として取り立てられ、藩政の改革に乗り出そうと「夢の名残」という建白書を提出しました。
が、一枚も二枚も上手の重臣たちの奸計にかかってしまいます。
子供の頃から、自分には冷たかった父・弥八郎、父は、主馬を供にし、可愛がっていたように思う慶之助は、遠縁の男、主馬にライバル心を抱いています。
そんな折に、弥八郎の息子は生後まもなく死んだが、どこからか赤子を連れてきて、我が子として育てた、と本人の耳に入れたのは筆頭家老、丹生松右衛門でした。
升屋喜右衛門に慶之助が言いました。
「親であり、子であるとは縁のものなのだ。たとえ血を分けても、親であり、子である心を持てぬ者もいるだろう。血はつながらずとも、心で通じ合う親子もあるのだ」
いよいよ藩札を発行することになった扇野藩。
藩札会所が焼き討ちに合いました、かろうじて版木を持ち出したものの、せっかくの藩札は灰になってしまった…
これは、富商らを強引に札元にした仕返しでした…
評定の間。
藩札会所が焼き討ちにあったことについて藩主・仲家の親裁が行われました。
慶之助の妹・那美と結婚して檜の家督を継いだ檜主馬は、咎めを受ける覚悟があると言います。
そんな主馬には、終生「御救方頭取」を申し渡しました。
咎めなし、どころか、重要任務に当てられたのでした。
一方、筆頭家老・丹生松右衛門、次席家老・渡辺主膳の二人には、檜弥八郎を陥れたこと、
政の責めを負う覚悟がない、という理由で家老職は務まらない、と職を解かれ、閉門蟄居を言い渡されました。
気分がいい!!w
卑劣な家老は、慶之助の出自(農民の子)を責め、任にあらず、と言い募りましたが
藩主・仲家は「弥八郎は慶之助を我が子として慈しみ、育てたのだ。ならば、慶之助は弥八郎の子であることは紛れもない」
素晴らしい!!
大坂の升屋喜右衛門が江戸へ、扇野藩の横暴を訴え出て、幕府の巡見使が来ることになりました。
その案内を務めるのが当の升屋喜右衛門と知って、「死中に活を求めるしかない」という慶之助。
升屋かどうか、顔を改めたい、と許しを請うて近寄り、耳元でなにか囁いた後
「無礼者!」と一喝して斬り捨てました。
その後に、慶之助は切腹して責任をとりました。
これは、慶之助のシナリオ通り。
我が身を呈して、藩を守る。
痛いほどの決意で生きていた慶之助の生き様が迫ります。
以前、仲家に見せた慶之助の建白書「夢の名残 御救方仕組書」と同じ案を矢吹主馬は部屋住み時代に書いていて、弥八郎に見せていました。
藩札発行に行き詰まったときは…秘策あり、と書かれていたのです。
これを読んで激怒した弥八郎は、却下したのですが…
秘策、とは、我が生命と引き換えに、藩の利益を守り 悪弊を断つことだったのです。
だからこそ尊い人命を犠牲にしてはならない、と弥八郎は認めなかったのに。
評定所や黒書院、藩札会所などで、慶之助や主馬など改革派と、重臣と商人らとの、やりとりが読みどころです。
慶之助の妹の那美は主馬と結婚し、兄の月命日に 主馬と松の木坂の藩札会所に花を手向けに行きます。
父・弥八郎、兄・慶之助が切腹に使った刀は、「義兄上の覚悟を生涯忘れぬために」と主馬が差していました。
もう、この刀を父や兄のように使わないでほしい、と祈る那美。
二人を清々しい風が包んで幕。
正義は必ず勝つ!!
気持ちがいい!!