happyの読書ノート

読書感想を記録していこうと思います。 故に 基本ネタバレしております。ご注意ください。 更新は、忘れた頃に やって来る …五七五(^^)

【原田マハ】「生きるぼくら」|ひきこもりだった青年が米作りで生きる喜びを実感する成長物語

ミュージアム勤務の経験があり、キュレーターをされている原田マハさんの、美術関連を題材にした作品は、切り口も鋭く、たくさんの知識・情報の宝庫で、興味深く読ませて頂いてます。

 

が、アートにまつわる作品が多い原田マハさんの作品の中で、アート系の作品ではない「生きるぼくら」。

素朴に面白かったです。

 

⚠以下 ネタバレあります、ご注意ください。

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ストーリー概要は

いじめから、ひきこもりとなった二十四歳の麻生人生。頼りだった母が突然いなくなった。残されていたのは、年賀状の束。その中に一枚だけ記憶にある名前があった。「もう一度会えますように。私の命が、あるうちに」マーサばあちゃんから?人生は四年ぶりに外へ!祖母のいる蓼科へ向かうと、予想を覆す状況が待っていた―。人の温もりにふれ、米づくりから、大きく人生が変わっていく。

BOOK データベースより引用

 

高校時代のイジメから引きこもりになって、部屋に閉じこもってゲームざんまい。昼夜逆転の生活をしていた人生(ジンセイ)。

両親は離婚して、母が仕事を掛け持ちして、二人暮らしの家計を支えてくれていたのに、すっかりそれに甘えきっていた息子。

 

甘え切っていた彼をこのままにしていてはいけない、と断腸の思いで突き放したのでしょうね。

ある日、起きてみると母の姿はなく、年賀状の薄い束があり、この中にあなたを助けてくれる人がいるだろうから連絡するように、との書き置きがありました。

 

なんとなくこんな四畳半の自室での生活がずっと続くと思っていた人生は、青天の霹靂に どうしていいかわからず…とりあえず、子供の頃夏休みに行っていた蓼科のおばあちゃんの家に向かいます。

 

やはり、可愛い子には旅をさせろ、っていいますものね。

 

長らく母親以外の人間との交流をしていなかった人生が蓼科のおばあちゃんの家に行くまでに駅員に行き方を聞いたりしながらなんとかたどり着き、タクシーの値段に所持金の心細さを覚えて 飛び込んだお蕎麦屋さんとの出会いが運命的!

 

実生活でも出会いって、自分ではどうすることもできないから…

袖振り合うも多生の縁、出会いは神様からのプレゼントのようですね。

 

お蕎麦屋の志乃さんが、真朝おばあちゃんと知り合い、ということで車で送ってもらえて…

でもおばあちゃんは人生のこと、誰だかわからない。

長い間 音信不通にしてたわけでもなさそうで、軽度の認知症みたい。

 

おばあちゃんの家には、おかっぱ頭の華奢な女の子がいて…座敷わらしかと思えば、彼女もおばあちゃんの孫だといいます。

 

父が離婚した後に結婚した女性の連れ子だった、つぼみ。

 

こうして奇妙な3人ぐらしが始まるのでした。

 

心に傷を抱えた若者の人生が、蓼科の祖母の家で大きく動き出す

おばあちゃんが 人生に見せたいところがある、といい、御射鹿池に連れて行ってくれた時、

命にも等しい人生の携帯電話を湖に落としてしまったおばあちゃん。

一瞬、激昂しそうになったが なんとか踏みとどまったものの…

携帯に頼っていた自分の小ささが悔しかった、携帯が人生のすべてで、心の拠り所だったことが。

 

気を取り直して、蓼科にとどまり、蕎麦屋の志乃さんの口利きで施設の清掃のアルバイトも出来るようになりました。

携帯を断ったことで、生活のリズムもできて、おばあちゃんの作る滋養のあるおいしいお料理を食べて、人間らしくなっていく人生。

その過程を読むのが胸熱。

 

蓼科の家に住まわせてもらうには、食費ぐらいは入れないと、と初めてもらったお給料から食費の入った銀行の封筒をおばあちゃんに差し出しました、御礼の言葉を添えて。

 

東京では派遣の仕事をしても長く続かなかった人生。

だめな履歴ばかりが増えて自信をなくしてしまったのかもしれませんが、もう少し踏みとどまって働いていれば…

 

いつもひとりで頑張っている母にお礼の言葉すらかけなかった人生は、自分の不幸を呪って閉じこもり、全く周りに心遣いをしていませんでした。

 

蓼科に来て、初めて初給料を母に渡すこともなくゲームのアイテムや通販に使ってしまったことを後悔しました。

 

もう少し、もう少し…

人生のいろんな分岐点で ほんの少しの差が、後々大きく差が付いていきます。

 

もう少し母の気持ちを考えられたら…見捨てられることもなく、仲良く暮らせたのに。

母は、このままでは、本当にだめになる、と心を鬼にして、人生を突き放したのでしょうけれど。

おばあちゃんの大切な田んぼを引き受けて

高齢だしもう、お米づくりはやめようと思う、というおばあちゃん。

おばあちゃんの「特別な田んぼ」で穫れたお米は、特別おいしいのでした。

それは、旧来のやり方で、丁寧に育てているから。

自分が食べるためだけに作る一反(300㎡)の田んぼ。

今では、手がかかりすぎて誰もがやらないやり方で稲を育てていたおばあちゃん。

 

大変だよ、と地元の人達のアドバイスがあったけれど それでもやる、といい切った人生とつぼみ。

 

つぼみもまた、人生と同じく中学生の頃、いじめられたのをきっかけに対人恐怖症になり、心療内科にも通っていたと明かしてくれました。

 

半年前までは、人との繋がりのなかった二人が、稲を育てることで、生き生きと過ごし、たくさんの人のサポートを受けながら、人とつながることで様々な気づきをもらいます。

 

孤立していた血のつながらない孫二人が、おばあちゃんの家で、新しい人生を切り開いて行く様が読み応えあります。

 

心に残った箇所

つい数ヶ月前まで、アパートの狭い部屋にじっと引きこもっていた。

さなぎの中で、もはや目覚めること無く命尽きていく幼虫のようだった。けれど好き好んでそうしていたわけではない。

さなぎの中の幼虫は、目覚めるタイミングを辛抱強く待っている。長い冬を過ごし、春が来れば殻を破って透き通った羽根を広げる。そうして大空へ飛び立つのだ。

P260より引用

 

そうなんです。

目覚めるタイミングは、人それぞれ違うから。

早熟も晩成もある、大きく実るか小さく実るか、味は濃いか、薄いか。

自分は自分の人生を歩むんだ、という強い意思があれば、それでいい。

 

「まじっすか。すげえ。〈中略〉すげえ、まじ、パねえ」

〈中略〉

まぁ、しゃーないっすよ。いじめとか引きこもりとか、ガラスの十代のときに、超ネガティブなこと経験しちゃったわけだし。都会で生き抜くための熾烈な競争から脱落するのもアリじゃないっすか? そのほうが楽に行きられるんっしょ、きっと

P285 より引用

相手を前にして、づけづけと言い放ったのは、介護の仕事をしている田端さんの一人息子。

東京の大学に行っているが、就活難航していて落ち込んでいる、ので人生の頑張りを見せようと田端さんから手伝わせていいか、と聞かれOKしたのに…

マウンティング取る体質なんでしょうか?ちょっとヤナ奴。

農業をバカにするような暴言を吐き、親父さんからみんなの前でゲンコツ食らいます、スカッとしますw

話し言葉は今風の若者言葉で、リアル♪

 

「どうもあいつは気が弱くて困るよ。ちょっとしたことがあると、コレでもう終わりだ、人生の負け組になっちまうって、たちまち怖じ気づいちゃうんだから」

失敗を繰り返してこそ、成長できる。自分が傷ついてこそ、人の痛みを理解できる大人になれるのに。

P303より引用

田端さんの嘆き。

本当に正論。

うまくことが運んで失敗せずに来た人は案外打たれ弱いかも。

ある程度、踏ん張れる根気も必要ですね。

 

マーサ(真朝)おばあちゃんの特別な田んぼは、耕運機などの機械は一切使わず、殺虫剤も使わず、水を湛えた水田ではなく、前の年の稲わらや雑草が朽ちたものが横たわる田んぼの土に穴を空けて苗を植えていくやり方。時間もかかるけれど、

植物の命、土の中に住む虫の命、それらがお米の栄養になっていく…

 

だから、人生には、

自然と、命と、自分たちと。みんなひっくるめて、生きるぼくら。そんな気分になるんだ。

〈中略〉

田んぼを眺めていると、自分が、この小宇宙の輪の中にすっぽり入っているんだと感じることがある。

P312より引用

 

人生は、一緒に苦労して植えた稲が成長する過程を写真に撮って 東京の純平に写真を添付して送り続けていました。

メールの件名は「生きるぼくら」。

 

そしてその秋、純平は、戻ってきました。田んぼを観に。

 

おばあちゃんに認知症の傾向が現れて、一人で世話をして煮詰まっていたつぼみ。

「ママも新多パパもいなくなっちゃって…もともと友達だっていなかったし…もしも、おばあちゃんになにかあったら…あたし、今度こそほんとうに本物の一人ぼっちになっちゃう」

人生は、ほんの一瞬ぐっと息を詰めた。それから胸に抱いていた小鳥を放つように、思い切って言った。

「…おれが、いるだろ」

P323より引用

く~~~っ♪ しびれる!!

 

つぼみが目を話したすきに、車でどこかへでかけてしまったまーさおばあちゃん。

皆が騒然となる中、おばあちゃんが行きそうなところ、

八ヶ岳の「御射鹿池(みしゃかいけ)」。

やはりおばあちゃんは、そこにいました、お家に帰ろう、と車に乗せて帰ってくると、おばあちゃんの家には…心配して

ものすごい数の人が集まっているのを観て、人生は心底驚いた。その驚きは、感動になって熱く胸を打った 

P344より引用

 

村人のみんなに慕われていたおばあちゃん。

 

子供の頃 稲刈りを手伝おうとして親に止められたが まーさばあちゃんが

誰にだって「最初」があるでしょ。だったら、今日をその「最初」の日にしたらいいのよ。

何束か借り入れを手伝うことができた。大人の仲間入りをしたようで、なんとも言えずに嬉しかった。

P350より引用

 

お米の生きるチカラを信じ、四季を通してお米に付き合い、助け、見守る。

 

人間もまた、自然の一部なのだ、と納得します。

 

おにぎりがどうして美味しいのか? 人の手で握るからだといいます。

コンビニの機械で「握った」おにぎりとは違う、人の手のぬくもりが美味しさも握っているんですね。

 

真朝おばあちゃんが人生のために握ったおにぎりには…人生が苦手な梅干しが入っていました。

 

高校時代に、いじめられお弁当箱をひっくり返されて 砂の混じったお米と梅干しを食べさせられてから、口の中のジャリジャリかんがトラウマになって、梅干しも食べられなくなっていたのに。

 

おばあちゃんが図らずも入れた梅干しおにぎりは、お米の甘さと梅干しの酸っぱさのハーモニーで、すっと食べることができました。

 

人生のトラウマ克服シーンに感動!

 

年賀状を頼りに蓼科にやってきた 血がつながらない つぼみと人生。

その年賀状は真朝おばあちゃんの名を騙った余命幾ばくもない父からの年賀状だったとわかります。

父はがんで亡くなってしまったけれど、年賀状が3人を引き寄せてくれたんですね。

 

就活難航していた純平の就職が決まったという。

東京でかっけースーツに身を包んで マスコミの仕事をする、と息巻いていたが。

農機具メーカーの子会社の営業に決まった、というのも微笑ましいです。

 

「人生さんのおかげです。」と殊勝な純平。

「違うな、諦めなかったのは純平だろ」すこし嬉しく、少し照れくさい人生^^

諦めなければ、ちょっとかっこ悪くても一生懸命足掻いていたら、ふと解決の糸口が見つかることがありますよね。

 

最終段階の作業、脱穀を仲間とともに終えた夜、新米を炊いて恒例の豊穣の宴が開かれました。

 

その宴がはねたあと、人生は長らく連絡を取っていなかった母へ、「生きるぼくら」というタイトルの5人で写った写真を添付して送りました。

即座に母からの電話、懐かしい声がしました。

 

自分が作ったお米で炊いたご飯でつくったおにぎりを食べてもらいたくて、母へと会いにいきます。

 

お母さんは、アパートの一室から出ようともしなかった息子が、蓼科の自然の中でおばあちゃん仕込のやり方でお米を作ったことが、どれほど嬉しかったことでしょう。

 

人生が作ったお米で作ったおにぎりを受け取って そっと胸に抱きしめた母。

 

新しい「人生」のはじまりの予感。

 

裏表紙 ↓ 人生とつぼみの田植えを木陰で見守るまーさおばあちゃんがきちんと描かれていますね^^

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✨まーさおばあちゃんの好きな御射鹿池は、東山魁夷の「緑響く」のモチーフとなっているところです。