『むらさきのスカートの女』は、2019年の第161回芥川賞受賞作です。
芥川賞というのは「純文学」に対して贈られる賞、ということで、あまり好みの作品がなく…なかなか手に取る機会がないです。
話題になったので宇佐見りん著『推し、燃ゆ』は読みました。
小山田浩子著『穴』も読みましたが感想は書いてません。
今年、文庫本化された『むらさきのスカートの女』、読んでみました。
図書館で借りたのは単行本です。
Amazon ★4 ★5=44%
⚠️ネタバレあります、ご注意ください
「わたし」視点で描かれる「むらさきのスカートの女」の生態
「わたし」は、近所に住む「むらさきのスカートの女」をじっと観察しています。
一体「わたし」は何者なのか、と不思議に思いながら読み進みました。
「わたし」に言わせると、「むらさきのスカートの女」は、友達もなく、仕事もなく、楽しみはクリームパンを公園の決まったベンチで食べること。
近所の小学生は、じゃんけんで負けたら、むらさきのスカートの女にタッチする遊びをして、まるで珍獣扱いです。^^;
「わたし」が彼女の座るベンチに求人誌を置いておくと、むらさきのスカートの女は、ホテルの清掃の仕事に職を得ました。
仕事場での様子も、細かく描かれているので、どこで見聞きしてるのかと思えば、「わたし」の職場に就職したのでした。
わたし=黄色いカーディガンの女こそ、ずっと行動を見張っていて、無職なのか、不思議でした。
作者の意図か? 後半で印章が逆転
最初は、一人称のわたし(黄色いカーディガンの女)目線で、「むらさきのスカートの女」がちょっと変わった人物なのかと思い読んでいると。。。
後半、だんだん印象が逆転していきます。
この黄色いカーディガンの女、ちょっとおかしな人、と気づく出来事があるたびにぞわっとします。
本当は、「わたし」が変で、「むらさきのスカートの女」(日野さんと言う)の方が普通だったんじゃないか。
「わたし」のいろいろな問題が露見していきます。
そして「黄色いカーディガンの女」こそ、アブナイ人だ、と確信します。
この本は、そういう結論に至るまでの過程を楽しむ作品かな。
予想外の展開とむらさきのスカートの女の行方
「むらさきのスカートの女」と友達になりたいのに、もってまわったやり方でちょっとした親切をしているつもりの「わたし」。
いつものように彼女のアパートを見張っていると、
「むらさきのスカートの女」の不倫相手の所長が尋ねてきますが、奥さんとも仲良くしてると知って、怒って男性に蹴りを入れると…
ヨタヨタした所長がつかまったのは老朽化した階段の手すり。
それが折れて、所長は真っ逆さま…
黄色いカーディガンの女は進み出て行き、「所長は死んでいる」、自分の大事なものを入れてある駅のコインロッカーの荷物をもって逃げろ、と鍵を渡します。
所長は気は失っていただけでしたが。
大事なものを、むらさきのスカートの女にあげたから、自分を慕ってくれるだろうと期待を込めていましたが
それから、彼女の姿は杳として知れず。
むらさきのスカートの女が居なくなった公園のベンチに座ってクリームパンを食べる黄色いカーディガンの女…
子どもたちが肩をぽん、と叩きに来て…
黄色いカーディガンの女は、「むらさきのスカートの女」になったのです^^
不思議な読後感
黄色いカーディガンの女(ホテルの清掃会社のチーフは、権藤さんだ、と後半にわかります)は、就業規則を破ったり(ストーキング行為のため居なくなる?)、ホテルの備品を持ち出して売ったり、無銭飲食をしたりと軽犯罪を繰り返しています。
それなのに、自分はさも正しいかのように、淡々とむらさきのスカートの女の観察を続けているところがすごい違和感ですし 怖い。
感動はないのですが、こういう手法もありなのだな、とちょっと目からウロコ。
だからこその芥川賞受賞なのかもしれません。
次どうなる?と興味津々でページを繰る内に 158ページ、あっという間に読めました。