「イオカステ」に惹かれて読んでみました
新聞広告で見かけた『イオカステの揺籃』。
以前、『オイディプス王』という舞台を観る際に、原作本である古代ギリシャ三大悲劇の、ソフォクレス作『オイディプス王』を読みました。
こんなことが起こりうるのか…という悲劇的状況。
テーバイの王・ライオスの妃がイオカステ、です。
生まれた男子は父を殺して、母と交わるだろう、という不吉な予言を聞いて、ライオスは生まれたばかりの我が子が男の子だったので 赤子を殺せと命じました。
不憫に思った羊飼いが隣国で生かしていたため、赤ちゃんは立派な青年・オイディプスに育っていました。
ある時、ライオスの子・オイディプスは、父とも知らずライオスを殺し、母とも知らずイオカステとの間に子供を設けたのです…
この「イオカステ」をタイトルに持つ小説はいかなるお話だろうか、と興味を持ちました。
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読むのが辛いイヤミスだけれど 一気読み
⚠️ネタバレありますご注意ください
主人公は、新進気鋭の建築家・青川英樹。
実家は、堺の浜寺公園に近い豪邸で、庭にはバラ夫人と呼ばれる美しい母・恭子が植えた庭いっぱいのバラ。
バラに対する造詣が深く、「バラの教室」を開くほど。
母・恭子に溺愛され、英樹も母に従順で優しい性格に育っていました。
そんな一見恵まれた家庭ですが 父の誠一は職場の部下と不倫、ソレ以前から夫婦関係は冷え切っていました。
英樹の妻・美沙が妊娠、更にお腹の子が男の子とわかると、
英樹の母、バラ夫人の恭子のお腹の子供への執着が常軌を逸しています。
病的で、恐怖を感じるほどに。
青川英樹には、2歳でなくなった弟がいました。
その頃の母と過ごしたことなどを思い出そうとすると、不穏な気持ちになるのでした。
青川家の過去に、「なにか」ある。
その「なにか」に辿り着こうとどんどんページを繰ってしまいます。
恭子の生い立ちとその毒親の件は読むのが苦しい
第四章の「一九七五(1975)年のシンデレラ」と第六章の「予言」は、バラ夫人と呼ばれる恭子の生い立ちが描かれています。
恭子の母がオソロシイ毒親で、恭子が妊娠中の美沙にかけるストレスなど序の口、と思えるほどにひどい親で、読んでいて心から血が流れました。
暴力も痛くて怖くて血が流れますが、恭子の母は、我が子を精神的に追い込んで人としての尊厳をも奪いかねません。
家庭は安らげる場ではない上、惨めな思いをさせて、呪いの言葉をかけるのです。
そんな母に育てられ、恭子は素直に愛を受け入れる術を知りませんでした。
あれほど愛に飢えていたというのに、夫が大好きなのに。
4章と6章を読むのがしんどかった…
小説の中の出来事なのに、読んでいる自分の心が潰れそうで。
もし、こんな親が実際にいたら、子供はどれほど苦しいだろうと思うと旨が締め付けられます。
結婚が決まっても、親は喜ぶどころか
「あんたは苦労するよ。絶対に苦労する。〈中略〉自業自得や。みんな自分の責任や。」(P267)
「あんたの子供は必ず一人死ぬ。それが二回もいやらしいことをした罰や。」(P289)
不愉快すぎる〜〜〜〜〜!!!!
自分の悲惨な生い立ち、母の事、負の感情を吐露するために、恭子はパソコンの中に「イオカステ」と題したファイルを作って書き留めていました…
母・恭子は息子の英樹を異常なまでに愛していました。
夫とうまくいかないなら、と息子を愛することで足りなさを補っていたということ?
玲子の気持ち
英樹のすぐ下の弟・和宏は2歳でなくなり、その後に玲子という妹が生まれましたが、母恭子は、英樹ばかりを可愛がり、
玲子は母の愛情を知らずに育って…母を敵だとすら思っていました。
本当は、愛してほしかった、優しく褒めてもらいたかった、兄のように。
母に愛されたい。無償の愛を与えて欲しい。でも、それは一人の女を「母」として消費するということだ。(P389)
えぇっ???
女性は、何かの役割で消費されるものなのでしょうか?
「母」として消費されたり、「妻」として消費されたりするものなのでしょうか??
そういう発想が全く理解できないというか、私には意味不明の文章でした。
ラストは玲子の言葉で締めくくられているのですが、なんだかな〜なお話。
イオカステ=恭子、揺籃=見事なバラ園のある邸宅。
心の奥にポッと灯が灯るような温かい作品、ではなかった…
タイトルの「イオカステ」からお察し、ですね ^^;