角田光代著「月と雷」を読みました。
初音映莉子・高良健吾主演で映画化されているようですが、映画は観てません。
Amazon評価 ★4.6
幼いころ、泰子の家でいっとき暮らしをともにした見知らぬ女と男の子。まっとうとは言い難いあの母子との日々を忘れたことはない泰子だが、ふたたび現れた二人を前に、今の「しあわせ」が否応もなく揺さぶられて―水面に広がる波紋にも似た、偶然がもたらす人生の変転を、著者ならではの筆致で丹念に描く力作長編小説。
BOOKデータベースより引用
浮草のように流れついては、また漂流していく母・直子と男の子・智。
泰子が幼い頃に家に住み着いて、一時期一緒に暮らして、また、ふわりと出ていきました。
それまで、まともだった泰子の生活が崩れていきました。
あの親子が自分から「普通の暮らし」と幸せを奪って去って行ったのではないか、と考えていた泰子の前に、大人になった男の子=智が現れます。
こともあろうか、又一緒に暮らさないか、と25年も経っているのに、またするりと泰子の生活に分け入ってきて。
また人生を狂わされるのではという不安とは裏腹に、「普通」の暮らしを知らない自分には、真っ当に結婚して暮らしていくという自信もないのです。
お付き合いしている山信太郎さんは、すごくいい人だけれど、本当の育ちのことを知られたくないので結婚には腰が引けてて。
子供の頃に家族のように暮らした智といるのがやっぱり落ち着く泰子。
智の母親は、自分の面倒を見てくれそうな男から男へと渡り歩いて、家事をするでもなく、働くでもなくペットのように飼われている状態。
実子の智ですら、お荷物になっていたのに、泰子と智が暮らす家(若い頃一緒に住んでいた泰子の実家)に転がり込んできます。
こんな母親に育てられた「普通」の生活を知らない智と暮らしていけるのか。
母は、父を置いて家を出た後、直子と智が来ました。
二人がふらっと出ていった後は、父の職場の女性が家にやってきて…
と、目まぐるしく家族環境が変わった泰子を一貫して育ててくれた人は父だけでしたが、泰子には無関心。
でも、泰子には別段自分が可哀想な存在とも思ってなかったんですね、それが救い。
そういう状況を「当たり前の」「日常」として捉えていたから。
子供は、自分の親を基準に育っていきます。
生活の基礎も、世の中の善悪も親から教えられますが、
流れ者の智には、世間の「普通」がわからなくて…テレビの中のドラマのワンシーンのような一家団欒に憧れてもいました。
智の子を身籠った泰子は、彼は父親になれない男だと何の期待もしない、どこか達観しているというか、信用していないというか、諦めています。
子供の写真を撮ったりあやしたりする智が「家族ごっこ」に見えてしまう泰子はとてもクールに智を観ていて…それは幸せなようで幸せではないような。
ふらふらと拠り所のない人生、地に足のついてない流れに身を委ねるような不確かな人生でも人は生きていきます。
一見流されているように見える人生でも、その人は、自分の意志でそれを選びとっているのだ、と著者はいいます。
自分が選んで来た道の集大成が人生の終わる時の自分、なんですね…
悔いのないように、生きていきたい。
もし選び間違っても、生きていればまた何度でもやり直せるから、正しい道を選び取っていきたいな、と。
一緒に東京で暮らそうという智の言葉に誘われて、我が子と上野行きの電車に乗った泰子。
智が上野駅で待っているはずだと思いながらも、そこに彼がいないことも想定していました。
智がいなくても行く、と。自分は行く、と決めた泰子。
流されるのではなく、自分の意思で人生を掴み取っていく泰子に、エールを送りました。
参加しています、応援クリックしていただけたら嬉しいです♪
↓