コンビニ兄弟4に続き、町田そのこ作品。
タイトル『ドヴォルザークに染まるころ』…の
ドヴォルザークとは?
小学校で夕方流れる、下校を促すメロディ、ドヴォルザークの『家路』。
それぞれの物語のラストで流れます…
表紙絵は、小学校の靴脱場とその奥に見える校庭。
九州北部にある廃校が決まった小学校の、最後の秋祭りが舞台。
5編から成っていますが、それぞれの物語の物語の登場人物の葛藤や生き様、読まされました。
目次:
人物描写が巧み、それぞれの人生を読まされました
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「私」をかたちづくったのは、この息苦しさ、この絶望、この愛おしさ。
遠き山に日は落ちてーー
小さな町で、それぞれの人生を自分らしく懸命に生きる女性たちを描いた感動作。
いつだって、わたしはこの景色に絶望していた。
廃校が決まった小さな街の小学校。
最後の秋祭りに集う人たちの、過去と現在、そして未来が交差する。
ドヴォルザークに染まるころ 本の帯より
衝撃の一行目
小説の最後の数行で泣かされたり、そういうことだったのか、と納得したり、はよくあるのですが…
この小説の、最初の一行にドキッ!
「担任の先生のセックスを見たことがある。」
えぇ〜〜〜〜! 怖い…
これからどんな展開になるのか、少し不安になりながら、読み進みました。
5話からなっています。
第一話 ドヴォルザークの檻
第二話 いつかのあの子
第三話 クロコンドルの集落で
第四話 サンクチュアリの終わりの日
第五話 わたしたちの祭り
第一話から第四話まで、2022年に小説宝石に掲載されたもの、第五話は描き下ろしです。
廃校が決まった柳垣小学校の最後の秋祭り。
いつも以上に盛り上げようと、校庭で豚汁やカレーを振る舞い、ステージでは歌やダンスのパフォーマンスが繰り広げられています。
ドヴォルザークの檻
PTAのお母さんたちが調理室で豚汁を作っています。
たわいもない会話から、それぞれの性格や家庭の事情などが見えてきて…
第一話は登場人物紹介、と言ったところ。
第一話の主役は、一人息子がいる世間知らずの鈴原類。
彼女の目を透して、6人のお母さんたちが語られます。
鈴原類(36歳)が主役です。
小学校6年生の夏休み、飼育小屋の掃除に行った際に、担任の群先生が、美術を教える男の先生に組み敷かれているところを見て目が合ってしまいました。
それから、群先生は、行方知れずに…
こんな生々しい姿を見てしまったのに、類は自分が群先生だったら良かったのに、と思ったのです。
この小さな町から美術の先生と逃亡した群先生が羨ましくて。
外の世界に憧れつつも、小学校から就職まで地元を出ず、幼馴染と結婚してずっと穏便に暮らしている類。
黙って従っていたほうが楽に生きられるからと無用の衝突はしないタイプ。
姑は自分が正しいと信じて、いろんな方面にマウント取るタイプですが、じっと我慢していました。
それを許せない、類の幼馴染の村上三好。
正論を言いますが、調理室の仲間は、みんな三好に内心では喝采を送っているのに、事なかれで沈黙を通していました。
狭い世間=檻の中 で生きていく難しさが描かれていました。
自分の選択は正しかったのか確かめに帰ってきた本田知沙
若い頃、類の夫=悟志の子を妊娠した本田理沙(37歳)。
悟志やその親にあきらめてくれと言われて子どもを諦めた事が正しかったのかどうか…
37歳になって、付き合っている男性とは結婚も子どもも望めそうにない現状。
自分にもし子どもがいたらどんな人生になっていたのか?
小学校の資料室で、 千沙は自分たちの卒業文集を見つけました。
そこには
「自分を信じる、自分の力で自由に生きていく、自分自身の力で幸せになる」と、小学生の千沙は書いていました。
すっかり忘れていた、あの頃の決意。
自分自身を幸せにするために、生きていこう、改め思った時、
ドヴォルザークは鳴り止もうとしていました…
クロコンドルという鳥は一生つがう相手を変えない
PTA会長の妻、田中佳代子の物語。
息子・陵介の母親としか見てくれない夫とはセックスレス。
寂しい思いを抱いていました。
夫の務は、PTA役員の仲間の梅本美衣子と仲が良くて…
そんな美衣子の夫は、PTAの井村瑠璃子と不倫中。
義母が元教師で柳垣小学校に勤務していたこともあるので、廃校になる前に言ってみたい、と言い出し佳代子が車で迎えに行きました。
小学校へ向かう車中でクロコンドルの生態について教えてくれたました。
クロコンドルは、
一夫一妻制で、浮気をすると仲間のコンドルから攻撃される。(クロコンドル Wikipediaより)
仲間が浮気を監視しているのですね〜^^
義母は、この町に住む者もクロコンドルだ、といいます。
我慢して諦めて生きんでええ。昔と違うて何があっても連れ添わないけん時代やない。
《中略》自分に嘘ばつかんで 自分のために生きる時代でしょうもん。《中略》
夫婦ちいう席から降りられても、両親ちいう席からは決して降りられませんけんね。
出典:『ドヴォルザークに染まるころ』P165
なかなか難しいです…
サンクチュアリの終わりの日
1〜3話は、柳垣小学校のPTA世代の話ですが、4話は柳垣小学校6年生の志方麦や不倫母の井村瑠璃子の娘・井村美冬の物語。
サンクチュアリは「聖域」「安らぎの場所」という意味。
小2の時に離婚して母が出ていってしまった麦の家庭。
麦の親友の美冬は母を軽蔑しています。
麦の母は、東京で成功して、麦と二人で住めるようになったから、と麦を迎えに来てブラジャーを買ってくれました。
祖母と父との暮らしでは気が付かないのか、と言いながら。
麦たちが校歌を祭りで披露する時に、麦はブラが気になってうまく歌えなかった、
カラオケ大会の最後でもう一度校歌を歌おう、麦と美冬、浩志の3人がステージにあがり、
かなた中学吹奏楽部も飛び入りで参加、演奏してくれて
いつも通学路で見守りをしてくれてる塩田のおじさんも歌いはじめ、
次々に校歌をくちづさむ…
みんな、それぞれにこの学校で紡いだ思いを胸に歌っているのでしょう、
心の故郷、それがこの廃校寸前の柳垣小学校。
不意に熱いものが込み上げてきて泣いてしまいました…
わたしたちの祭り
上述した、はっきりとものを言う村上三好の視点で見た柳垣小学校のPTAの人たち。
煮えきらない類の態度や生き方に批判的です。
夫の意見を受け入れたくせに傷ついた顔をするのも嫌。
類の母は、男性を気遣ってあえて「立てて」やっている
男を優先させて場を円滑に回す自分たちの行動が賢いアピール(P239)
古臭い価値観を未だに振り回しています。
「立てる」もなにも男女に差はないし、お互いに気遣いがあればそれでいいのに…
九州の男は男尊女卑の意識が残っているが、その責任は女性にもあるのではないか、と三好は思っています。
群先生と友達だという女性、遠山夏海が先生の知り合いを探して秋祭りに来ていました。
群先生は、教師としてあるまじきことをしてしまったけれど、廃校になる前に柳垣小学校の秋祭りに来て学校を見たかったらしいのです。
入院中で行けないので、遠山が代わりに写真を撮りに来たとか。
遠山は言います、群先生が黙って逃げたことは良くなかった、と。
「自分の口から真実を話さないと何も伝わらない。
黙って逃げちゃだめ、逃げた側が悪くなる
相手に言い訳の理由を与えて被害者面をさせてしまう…」
「人はどれだけ辛くても自分のために闘うことを放棄しちゃだめ」
ドヴォルザークが流れ始めた。
類は、秋祭りに来ていた幼馴染と逃亡しようとタクシーを呼んでいました。
あのときの群先生のように、この街から逃げ出そうと…
遠山夏海が類に諭します
王子様に助けられるつもりでいたら、結局不幸になるよ。
幸せは誰かの手からもらうんじゃなくて、自分の手で掴んで離さないでいるしかないんだよ。
出典:『ドヴォルザークに染まるころ』P275
ですです!
簡単に手に入れられるものよりも、自分で努力して掴み取ったものの方が価値があるのと同じ。
遠山夏海が良い働きをしている第五話でした。
ふるさとにとどまる者、出ていく者。
それぞれ 小さい町で生きる息苦しさ、その中で生きていくこの絶望、
それでも故郷への愛おしさが胸に広がる。
人物描写が巧みで、あっという間に読めました。
感想文を書くのは遅くなってしまったけど…^^;
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