happyの読書ノート

読書感想を記録していこうと思います。 故に 基本ネタバレしております。ご注意ください。 更新は、忘れた頃に やって来る …五七五(^^)

新書大賞2016 「京都ぎらい」読了♪

井上章一著 「京都ぎらい」を読みました。

ネットでも注目を集め、2016年新書大賞なんだそう。


    京都ぎらい

みんな大好き、古都・京都。
日本人の心の故郷 古都・京都
外国人のあこがれの街 古都・京都。

と、私は思っていたのですが、そうではない方もいらっしゃるのね~~

私と私の周りは 偶然 みんな京都大好きです!

だからタイトルみたときには 奇をてらっている

としか、思えませんでした。



千年の古都のいやらしさ、全部書く 

本の帯にそう書いてあるけど
そんなにいやらしくもなかったです。

京都で嫌な思いをされた方は 思わず手にとってみたくなるかな。

あなたが旅情を覚える古都のたたずまいに、じっと目を凝らせば...。
気づいていながら誰もあえて書こうとしなかった数々の事実によって、
京都人のおそろしい一面が鮮やかに浮かんでくるにちがいない。
洛外に生まれ育った著者だから表現しうる京都の街によどむ底知れぬ沼気(しょうき)。
洛中専念の「花」「毒」を見定める新・京都論である。

と、カバーの見返しに書いてありますが…

「京都ぎらい」というフレーズに惹かれて読んだ方は
期待はずれかもよ。

誇大広告打ったな、と思います。 
憧れの京都に、「千年のいやらしさ」とは? 
階層社会と排他的な雰囲気が「いやらしい」と思われる一因でしょうか?

数々の事実によって京都人のおそろしい一面が
鮮やかに浮かんでくるにちがいない。


「おそろしい一面」って、妖怪じゃあるまいに
「いやらしい一面」ならわかりますが。^^;

どこの街にも その地方ならではの
昔から息づいてきた 風習や週間、言い回しや暗黙の約束事があるものです。

京都のいけず(意地悪)は 以前 朝日新聞の「関西遺産」でも取り上げてました…

あっ! あれが発端で、この本を出版するっていう計画が
持ち上がったのかしら?


これ 朝日新聞出版からの上梓ですからねっ ← 深読みhappy ^^;

いけず(意地悪)っていうのは 個人の性格に依るものなので
京都(洛中)人を十把一絡げにいけず、というのは違っている気がします。

京都の「いけず」は習慣、というか長い歴史の中で
作られてきた 風習や考え方なんだと 私は思います。

京都の洛中と洛外を分けて考えるのも 私はわかる気がします。


碁盤の目になった道路と 細かく名付けられた通り、その外に
北大路 南大路 東大路 西大路。 
大きな通りで囲まれた中に
近代日本が発祥するまでの 日本独自の歴史が堆積していて
いろんな風習は 京都が都として機能していたころから
綿々と受け継がれ 今に息づいているのだと思います。
だから いまだに根底に みやこびとの自負があるのも
中華思想もむべなるかな、です。

著者・井上章一さんに、この本を書かせたと言ってもいい出来事が
さる旧家の当主に 嵯峨出身、と告げると
「昔 あのあたりにいるお百姓さんがうちへよう肥をくみにきてくれたんや」
と 何気なく言いました。


この一言から 田舎の子なんやな、と「いけず」を言われたと
言葉の中に 肥ならず、「いけず」を汲み取ってしまったんですね~。

「洛中から見下されてきたことへの反発を気持ちのささえにしてこれを書いている。
洛外生息の劣等感が執筆の原動力となっていることは、たしかである。」
「あの時味わった挫折こそが、私のささやかな文業をささえている」

その劣等感、言われたことへの反感、悔しさが、著者を「書くこと」に走らせたのですね。

朝日新聞社から執筆依頼されたから デフォルメしているのかもしれないけど、かなり(ry

地域の格差なんてどこにでもあります。
神戸でも 阪急沿線 JR沿線 阪神沿線の格差は
昔から語られてますからね~

東京では 「三代遡れば9割田舎者」と言われています。

都会にせよ 田舎にせよ 自分の出身地が嫌いでないならば
見上げられようが見下されようが 毅然としていればいいと思います。


田舎というだけで人を見下すような御仁がいれば 
逆に、そのいやらしい性格を見下してやればいいのです。

著者は、現在は宇治在住で こちらも洛中人から「京都ではない」と
されている地域です。
著者自身も 他県の人から京都の人と呼ばれるのを面映ゆく思っておられます。
にもかかわらず、
こと 昔の都・京都 vs 今の都・東京の話になると
すっかり「京都人」として東京に物を申されてまして…
言ってることがブレない?

でも、実際に個人的に京都人の中華思想に触れ、馬鹿にされたと感じた人たちは
本書を読んで、よくぞ言ってくれた、
と、胸の溜飲を下げていらっしゃるご様子。
それで ネットも熱くなったんでしょう。

そいういう人たちからの評価と 逆説的なタイトルで売上を伸ばしているのかな?

内容については いけずを全部書くというより
京都ならではのお坊さん、舞子さんのお話、
寺院と庭園の話、興味深い。

私が一番興味深く読んだのは
第四章 歴史の中から、見えること
第五章 平安京の副都心

南北朝時代のお話や明治維新に触れています。

神社仏閣を巡る時 ただ建物や庭園を観るだけでなく
その歴史背景を知って観たら 全然見え方が違ってきたりします。
博物館を見て回るときでも 知識があるとないとでは大違い。

京都に行く予定があれば その歴史をすこし予習していけば
きっと 多角的に見えてくるものがあるのだと思います。

本能寺の変、南北朝時代、明治維新…
最近観た舞台やドラマや本で得た知識がこの本の内容で
繋がって 腑に落ちて気持ちいいです。

京都ぎらい、というタイトルは本書の内容を表しているとは思えないけど 内容は良かったです。

《追記にこっそり》 

ワタクシゴトで恐縮ですが

私の母方の祖父が著者と同じ嵯峨出身で
菩提寺も嵯峨にあります。
たしかに今でも のんびりしてて畑なども点在してるから
きっと昔は本当に田舎だったんでしょうね。

でも洛中の人からどーのこーの、っていう話は 祖父祖母、母からも
聞いたことがないです。

でも代々洛中に住む京都人は誇り高いような気はします。 

昔大覚寺に 遅い時間に拝観に行ったら
黒の詰め襟を着たおじいさん(僧侶ではなさそう)が出てこられて
すごく高飛車に 
こんな時間に来るなんて無礼者(ニュアンスです)、的な事を言われて唖然としたのですが

大覚寺っていうのは皇室ゆかりの門跡寺院だそうで 格式あるお寺なのですね、
だから 気位高いのねと思ったのでした。

嵐山観光で必ず行く 天龍寺は後醍醐天皇を弔うために建立されたお寺で (今回認識)
嵐山・嵯峨野一帯は 南朝にゆかり深い土地柄ですね~

天龍寺の回遊式庭園なども何度も行って パンフレットももらってるのに
ちゃんと読みもしないで捨ててたから この本、勉強になりました。

日本史は掘り下げれば掘り下げるほど面白い♪ のだと思ふ~ 

それにしても 本の中に出てくる 著者に深く恨みをもたせた一言を放った
某九代目ご当主というのが 私が学生時代 (ry

久しぶりに名前を見てビックリ。