伊吹有喜さんという作家さんは、宝塚歌劇で「カンパニー」を上演するというので、原作本の著者と初めて知りました。
バレエ団の団員の実情に興味津々、妻に捨てられて?、会社では崖っぷちに立たされているしがないサラリーマンの青柳さんがとてもいい味を出していて、読まされました。
また機会があれば伊吹有喜さんの作品を読みたい、と思ってから早4年。
今年は伊吹有喜さんの著作3冊読みました
直木賞ノミネート作品 「雲を紡ぐ」
直木賞ノミネート作品 「犬のいた季節」
そして本作、「なでし子物語」
たまたま図書館に本を返却に行って、書架の「伊吹有喜」さんのコーナーを覗いてみつけました。
独特の世界感に興味をそそられます
ずっと、透明になってしまいたかった。 でも本当は「ここにいるよ」って言いたかった―― いじめに遭っている少女・耀子、居所のない思いを抱え過去の思い出の中にだけ生きている未亡人・照子、生い立ちゆえの重圧やいじめに苦しむ少年・立海。 三人の出会いが、それぞれの人生を少しずつ動かし始める。
Google Booksより引用
父亡き後、母と二人暮らしだった耀子の元から、母は愛人と逃げてしまいます。
1人残された耀子は、保護され、父方の祖父・間宮の元に預けられました。
祖父・間宮は、静岡の山中の峰生という村で林業で生計を立てて暮らしていました。
峰生の有力者・遠藤家は林業を営んで大きなお屋敷と、使用人の長屋などがあり、離れたところには 山で働く人や、お客様用の温泉も持っている大きな家。
間宮は、その敷地内の長屋に住んでいました。
常夏荘と名付けられたその家を守っているのが、おあんさんこと遠藤照子。
夫・遠藤龍一郎亡き後、大学生の息子を東京に残し静かに暮らしていました。
遠藤家には洋館の部分があり、そこに小学1年生の立海(たつみ)という男の子が、東京から転地療養に来ていました。彼は、遠藤家の跡取り。
照子の舅の龍巳が愛人に産ませた子で、身体が弱いので迷信を信じて女の子の格好をさせられていました。
時は1980年。
ラジカセから、オリビア・ニュートン・ジョンの「ザナドゥ」が流れていて…
10歳の耀子は、伊吹有喜さんと同い年のようですね^^
本家の跡取りの立海と、使用人の孫の耀子、年は離れていても立海とは義理の姉弟の関係になる照子。
3人が同じ敷地内で暮らし、交流を重ねていくうちに いじめられっ子で引っ込み思案の耀子も立海も、人と交わるのを避けていた照子も 少しずつ閉ざした心が開き始めて…
大した事件は起こらないのに、読まされるのは、
遠藤家の独特のしきたりや、峰生の暮らしが活写されているからだと思います。
耀子をいじめていた兄弟が、反省して、籠に入れたくるみやお花を入れて届けてくれたり、
金柑の蜂蜜漬けを井戸水で割って飲んだり、食堂の千恵主導でみんなで五平餅をつくったり、何気ない日常がすごく愛おしくなるシーンが満載です。
ほのぼのとした、今で言う「スロウライフ」が季節の移ろいとともに描かれていて楽しいのです。
以下 自分の備忘録として書いているのでネタバレあります、ご注意下さい。
常夏=なでしこの謂れ
なでしこの異名が常夏(とこなつ)、と初めて知りました。
昔は、なでしこは、常夏、と呼ばれていたそうです。
「常夏の国ハワイ」みたいな使い方しかしらなかったのですが。
日本女子を大和撫子、って言ったりしますが、なでしこに「大和」と付けたのは、後に中国から「唐撫子(からなでしこ)」が入ってきたので区別するために付けたんですって。
これは「なでしこ」を調べていて偶然知りました。
龍一郎が生前、照子を連れて峰生のなでしこの丘に登る場面があります。
龍一郎が一番好きな場所、というそこには遠藤家の家紋でもあるなでしこが一面に咲いている美しい場所でした。
立海が計画していたクリスマス会の日、東京の御父様が突然、さらうようにして、嫌がる立海を東京に連れ帰ってしまいました。
主なきクリスマス会で、耀子の祖父・間宮勇吉は、峰生にまつわる昔話を披露します…
なでしこの花にまつわる、見習い天女と峰生の少年のお話を。
幼い天女見習いが空から落ちてきて少年と出会いました。
いつかまた会いたい、と少年は木を大きく育て、天女は地に降りるための長い長い紐を編んで…その日を待ちました。
いつかの七夕の日に天女は紐を伝い、峰生の一番高い木を伝っておりてきて天に帰ることなく少年(男性に育っていた)と暮らし、峰生の女性たちに機織りを教え 峰生は栄えた…。
遠州木綿の起源、ということなのでしょうか?
男が亡くなった後も天女はこの地にとどまり、星の形の花=なでしこ、となって峰生を守り続けています。
峰生の山の男は皆、なでしこの印を身に着けてお守りとしているのだ、と。
生前、照子の夫の龍一郎は「天女」は都から来た麗人ではないか、と話していました。
照子の夫・龍一郎の林業への誇り
照子の夫がハネムーンの時に言いました。
いろいろな事業をしているけれど、中略 次の世代のために森を育てて、山を守る。それこそが僕らの仕事。それはすなわち天竜川の水源を守るということだ。美しい川は美しい山が作る。その川は豊かな海を育む。林業こそ国土の要。僕らはそう思っている。
「なでし子物語」本文349ページより抜粋
一次産業の中でも林業は、大変な割にすぐに結果が出ない職業です。計画し長いスパンで見る目が必要ですね。
長い時の流れの中でじっくりと大きなものを動かしている、そんなイメージ。
龍一郎はそんな家業=林業に誇りを持っていたんですね。
以前、映画にもなった三浦しをん著「神去なあなあ日常」を読みました。
神去村のモデルは三浦しをんさんのお父様の出身地、三重県の山奥の旧美杉村だそうです。
著者の伊吹有喜さんも、三重県出身ですので林業には思い入れがあるのかも?
家庭教師の青井の活躍
お坊ちゃまの立海には、療養中に勉強が遅れることがないよう、家庭教師が付いていました。
青井という家庭教師は、真っ直ぐで凛とした人。
耀子の勉強やしつけも一緒に見てくれていました。
言葉遣いもなっていない耀子が「ありがとう」というと「ありがとうございます」といいなさい、「わかんない」は、「わかりません」と細かく訂正していきます。
勉強が遅れていた耀子は満足に九九も唱えられず劣等感の塊でしたが、そんな心を丁寧に解きほぐして、自信をつけてくれたのも青井でした。
厳しいけれど それは愛ゆえ。サリバン先生のように、愛ある厳しさ。
そしてひとつの大切な言葉をおしえてくれました。「ジリツトジリツ」。
自立と自律。自分の力で立つ、自分を律して美しく生きる。
大人は自由だから、自分の中に守るべき基準を作っていく、それが自律。
今まで学校を休みがちで、きちんと教育も受けてなかった耀子が、青井の指導で人間としてのあるべき姿をも学んで行く過程が胸熱。
青井自身、子供の頃に親が亡くなり、遠い親戚の家で育てられていたこと、いじめにあっていたことを物語の終盤で耀子に打ち明けます。
先生も…! 青井先生が、耀子と同じような境遇だったと知って大いに勇気づけられた耀子は「希望」を知ります。
一人ぼっちでもきっと誰かとつながっている
ある日お抱え運転手の佐々木が「耀子ちゃんは賢いんだな、きっと」と言います。
大秀才おだった父さんと、耀子は似ているのだと。
今まで一人ぼっちだった耀子は、記憶にすらない父や、祖父とつながっているのだ、と実感し、じわりと心が温かくなるのでした。
ネグレクトの母に育てられ、いつも一人ぼっちだった耀子は一人ぼっちなんかじゃなかったのです。
祖父の間宮も、今まで会ったことも無かった孫がいきなり現れとまどいもあったものの、ふとした仕草や足の指が息子の裕一に似ていることや、足が小さいところは、亡き妻の絹江似ていることに気づいて血のつながりを感じ、胸を熱くするのでした…
耀子の母は、何も教えてくれず、いじめられて学校にも行けず一人ぼっちでした。
祖父を頼って峰生に来てからは、祖父や遠藤家の人たち、遠藤家の使用人、学校のいじめっ子兄弟ともつながって 耀子の人生が彩りに満ちていく様子がキラキラと描かれていて 読んでいて楽しかったです。
祖父から、父の形見の腕時計をもらった耀子。
形見の腕時計を見て青井先生がいいます。
あなたへ命をつないだ人がいる。
耀子自身がお父さんとお母さんからのプレゼントなんだ、と。
大人の都合で子供は振り回されてしまう。
そんな理不尽を乗り越えて、と青井先生は励ましてくれるのでした。
やらまいか。
浜松弁で「やらないでどうする」「やってやろうじゃないか」という意味だそう。
やらまいか精神で、耀子の人生が、もっと輝きますように、と祈らずにはいられない 温かい作品でした。
なでし子物語 地の星、天の花と続くようです。
読んだら、またレビューします♪