今日の神戸は春の陽気で庭の温度計は20度近いです
被災地のことが気になって仕方ありません
私が悪いわけではないけれど
普段どおり暮らしているだけでも申し訳ないような気になります
今、地震について語っても どんな言葉も虚しく響く気がします
想像を超える被害・・・筆舌には尽くしがたいのです
何ができるか、何が求められているのか・・・考えます
で、ちょっと気持ちが沈んでたんですが
図書館から 忘れた頃に回ってきた「KAGEROU」を読みました
一時は ブックレビューで酷評されていたみたいだけど
そんなに酷評するほどのこともない、と私は、思いました
レビューを書いた人たち全員、ちゃんと読んだのかしら?
ネット特有の「炎上」みたいな現象だったかも?
いや、フツーに楽しめましたよ~♪
確かに ちょっと稚拙かな?と思うところもあるけれど
処女作にしては 十分です
以前読んだ 芥川賞受賞作の方が、
えーーーっ!コレが芥川賞? 選考基準がわからん!と思ったことがある。
KAGEROUも 至らない点もあるかもしれないけれど
そんなもん 巷にあふれている出版物だって
完璧なものなんて 殆ど無いから、 ノープロブレム
(渡辺淳一の作品の方が 私にしたらダメ出し対象 言いたいことは山ほどあるが割愛)
息子2人(23、17才)も読みましたが
印象はそんなには悪くないようでした
むしろ問題は この作品が「ポプラ小説大賞」を
処女作にして 受賞させてしまったってことにあると思います
殆ど知名度がなかった「ポプラ小説大賞」の売名行為の
片棒かつがされたのが 斉藤智裕さんだったのか、とも思えたり。
児童書中心のポプラ社が 文芸部門の強化のために設けた賞かと思う。
一度も作品を応募したことの無い者がいきなり受賞するフシギ。
だから 出来レースって言われてしまう。
作家(斉藤智裕)に、出版社はどうアプローチしたのか・・・?
ポプラ社のやり方や責任の取り方にこそ興味があります
で、さっきポプラ社のHP見たら
なんと この賞(ポプラ社小説大賞)は廃止で
ポプラ社小説新人賞を設けたとのこと。
「KAGEROU」が幕を引いたってわけか・・・?
なんだか腑に落ちません
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ネタバレあり ↓
自殺志望のヤスオ(40歳)は 廃屋となったデパートの屋上から
今まさに フェンスを越えて飛び降りようとしていた時、
謎の黒服の男(京谷)に止められる。
彼はヤスオの借金を返済し、年老いた実家の両親にもそれと知られぬよう
死後の始末を付けてくれるという。
その対価は 自分の臓器。
ドナーとなって 体中の臓器をレシピエントに提供し、死ぬ。
その代わりに 全国ドナー協会から支払われるお金を
借金返済に充てるという契約を結んだのだ。
病院の前で心臓移植を待つ少女・アカネと偶然であった
ヤスオの心臓が明日、この可憐な少女に移植されるのだ。
病院のベッドの上で目覚めたヤスオには 大きな機械が付けられていた
なんと 心臓だけをドナー提供したまま 生かされていたのだ!
他のレシピエントは 移植を待たず死亡したと 京谷は説明した。
大きな機械は、人工心臓だった・・・・と言う事は・・・
アカネの手術は成功したのか?
人口心臓は 胸に埋め込まれた心臓部のぜんまいを巻き続ければ
大きな機械から開放され 自由の身になれることを知ったヤスオ。
窓の下を歩く女性に アカネ、と声をかけてみたら
彼女は別人だが アカネを呼び出してくれた
アカネと 病院の敷地内にある 元防空壕だった隠れ家へと
心臓のぜんまいを巻きながら 逃避行・・・。
穴の中で 父の自殺と 自分が生まれてきたことに対する罪悪感
死にたくない、という生への執着と 生きてちゃいけないんじゃないかという
二つの感情の間で揺れ動く苦しい心情を打ち明けたアカネ
ヤ:この世の中に「生きてちゃいけない人」なんかいないんじゃないかな?
ア:明日はもう生きられないかも、っておもいながら生きてるとね
今日という日がどんなに大切で 貴重で、特別な1日かがよくわかるの
何を見ても聞いてもキレイで感動的で、愛しくて(中略)仔犬を見てるだけでも
涙が出てくるの
この会話に作者の言いたかった この本のテーマが凝縮されていると思いました
怪しそうな団体 全ド協(全国ドナー・レシピエント協会)に 興味津々。
死ぬなら 献体を・・・という発想は 分からないでもない
なんだか SF映画を観てるような気分になる作品
最後の方 アカネが登場して ホッコリさせられます
終盤 ダジャレ連発で、
ん~ 安っぽくなってしまいましたね、残念
* 3時間あれば読めますよ~ ^^
孤高のメスで煮詰まってたから こういうライトノベルが
箸休め的で良かったです
また 孤高のメスの続き、読まなくちゃ・・