樹木希林さんの言葉を集めた「一切なりゆき」を読みました
2018年、亡くなられた 女優・樹木希林さんの言葉を集めた「一切なりゆき」を読みました。
昨年2月に朝日新聞の「売れてる本」で紹介されていました。
樹木希林さんが、生前に書かれた「著作」ではなく、樹木希林さんが、雑誌やテレビのインタビューなどで語られたキラリと光る樹木希林さんらしい言葉を、文春新書・編集部が集めた本です。
タイトルの「一切なりゆき」は、生前色紙に書いておられた「私の役者魂はね 一切なりゆき」から取られたようです。
ユニークな人生を歩まれたように思います。
人となりは、よく知らなかったのですが、激しい性格で喧嘩っ早く、はっきりモノを言う性格だったそうです。
ほんわかした見た目とは違う、熱くて真っ直ぐすぎる生き方だったのですね。
そんな樹木希林さんが、癌になったり、老いたりしたことで 目線が変わってきたのか その部分を主に取り上げて編集したのか「死」「老い」に向き合う希林さんの言葉が印象的でした。
自然体で 抗わない姿勢が生き方を楽にする
樹木希林さんは、元は悠木千帆というお名前でしたが お名前を売られた事や、若いのに老け役をされてて、どこか
「女優」という言葉のイメージとは違う人生を歩んでおられたような気がします。
~ねばならない、という固定観念に縛られがちな私達ですが 希林さんは、人生の後半は肩の力を抜いてゆったりと生きておられたのですね。
柳に雪折れなし
という言葉がありますが、まさにそんな生き方。
病気とも闘わず、積極的な治療もされていなかったご様子です。
女優だから若く美しくありたい、という欲もなく、人間だから、老いるのは当然、その生き様を芝居に反映させておられたのだと思いました。
6章からなりますが 小見出しはたくさん! 一部をご紹介します。
終了するまでに美しくなりた、という理想はあるのですよ。ある種の執着を一切捨てた中で、地上にすぽーんといて、肩の力がすっと抜けて。形に出てくるものではなくて、心の器量ね。
「人は死ぬ」と実感できればしっかり行きられる(「私の夢見る大往生」1996年)
淡々と生きて淡々と死んでいきたいなぁ (「この人の言葉は宝物だ!」2002年)
なんでもない日常や、とるに足らないように思える人生も、おもしろがってみると、そこに幸せが見つけられるような気がするんです。
他人の価値観に振り回されない!
幸せというのは「常にあるもの」ではなくて「自分で見つけるもの」(「『こんなはずじゃなかった』それでこそ人生です」2016年)
人生がすべて必然のように、私のがんもまったく必然だと思っています。
がんってのは準備ができるからありがたい。それは悲壮でもなんでもないです。
もう人生、上等じゃないって、いつも思っている (「1週間あれば、いつ死んでもいい」2015年)
どの場面にも善と悪があることを受け入れることから、本当の意味で人間がたくましくなっていく。
病というものを駄目として、健康であることをいいとするだけなら、こんなつまらない人生は無いだろうと。
(全身がん 自分を使い切って死にたい 2014年)
昔っから朝のテレビ小説なんて 私らみたいな雑な 暇な 二流の役者がやるもんだ、と思ってましたから。
本当にものを考えてちゃんとやろうなんていう役者はこういうものにはだいたいでないもんですよ。
(筑紫哲也のテレビ現論 茶の間の神様 1987年)
郷ひろみとの対談秘話
郷ひろみさんが一時期、全くテレビに出なくなって、樹木希林さんとなら対談してもいい、となり対談したそうです。松田聖子さんのことで傷心だった頃。
対談の内容を 樹木希林さんが編集されたら、一番に目にする、印刷所の人が
「郷ひろみって、こんなに頭がよくてかっこいい男だったのか」とおっしゃったそうです。
編集部のつけたタイトル「郷ひろみ松田聖子のことを赤裸々に語る」で表紙が刷り上がってたのを
樹木希林さんがお金を出すから 差し替えて!!と ← 男前!!
「独占インタビュー郷ひろみ コケにされた男の正しいコケ方」笑 に変更。
この週のサンデー毎日は、いつも以上に売れたそうです。
(芝居は「笑い」がいちばん 2001年)
出演作品のこと
★東京タワー
女が台となって「始」って漢字になる。すべての始まりの土台を作るのが女だからね。そこがグラグラしてるんですよ、今の世の中は。
やっぱり世の家族が崩壊しないのは、女の粘り強さですよ(「樹木希林の言葉」2007年)
死ぬために生きているのではなく、生き切って死というものがあって (樹木希林の言葉 2007年)
★神宮キリン 私の神様
他人の芝生は青いもの。一見、不公平のようでも誰かがなにかを背負っている。その中で小さな喜びや希望を見つける。
一見不公平のようでも誰もが何かを背負ってる(樹木希林としての生き方 2014年)
★あん
たとえ病気であっても、生きる希望をもって生きていく。そうやって命をつかいつくしていったんじゃあないの、ということを、この作品を通じて伝えたいです。
決して病気だからといってかわいそうなのではない (「人生でやり残しはないですね。この先はどうやって成熟して終えるか、かしら。」2015年)
★万引き家族
「女優がそんなことをするのは、ヌードになるより恥ずかしいことですよ。」と人に言われた。
入れ歯を外して、髪の毛もだらぁとながくして。
人間をいかにして自分の身体を通して表現するか。それが役者の仕事なんだけれど、万引き家族がパルムドールを受賞したのは、個々の人間がどうやってそこまで生きてきたかを、丹念に見ながら積み重ねていった結果なんじゃないかと思う。
人間が老いていく、壊れていくすがたというものも見せたかった (「女優魂の渾身と自由 ヌードよりも恥ずかしい」2018年)
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