2022年11月、Twitterのタイムラインに、山本文緒さんの著書のツイートが流れてきました。
山本文緒さん…お名前は存じていましたが、著書を読んだことはありませんでした。
初めて読む山本文緒さんの作品が遺作とは。
内容に触れていますので、知りたくない方はブラウザバックお願いします。
Amazon★4.6 ★5=76%
目次:
余命宣告から、亡くなる直前まで綴られた日々
山本文緒さんは2021年4月、膵臓がんと診断されました。
すでにステージ4b、転移もあったそうです。
抗がん剤治療を受けたものの、地獄の思いをして、
抗がん剤で死ぬのでは?と思うほど辛かったそうです。
ご主人、ドクター、カウンセラーと話し合い、緩和ケアを受けることを決めた、
2021年5月から、お亡くなりになる直前までの日記です。
第1章から第4章までは、
第1章 5月24日〜6月21日
第2章 6月28日〜8月26日
第3章 9月2日〜9月21日
第4章 9月27日〜
第1章 5月24日〜6月21日
5月25日、日記を書き始めて2日目。
抗がん剤治療は1回しか受けていないし、治療から3週間経っていたので脱毛はしないもの、と思っていたら突然髪が抜け始めてショックを受けた文緒さん。
自分の髪があるうちに外を歩きたい、とご主人に連れて行ってもらったカフェ。
その店に上がる階段で足がふらつき、近いうちにここにも来れなくなるんだ、と実感されました。
重病患者は大病院の主治医に診てもらう印象ですが、今はいろんな相談先(緩和ケアのクリニック)があってありがたい、と前向きに捉えていますが、
著者の「うまく死ねますように。」の言葉に胸をえぐられる思い。
どうやったら「うまく」死ねるんでしょう?
うまく死ぬ、とは?
考えさせられました。
膵臓がんと診断されるまでの経緯も書かれています
2020年末にテレビ出演で緊張して胃が痛みガスター10を飲む
2021年年明け、胸焼け、胃痛 → 人間ドックで「イレウス疑い」と診断下る(2月初旬)
近所の病院で 造影剤入りCTで腸の検査 → 問題なし、腫瘍マーカーも心配なし
胃カメラで慢性胃炎と診断(3月上旬)
夜中に痛みで目覚めることあり、ある日、痛みで一睡もできず病院に駆け込むと…
γGTP(女性で30まで)が1000を越えている!!と大きい病院へ。
内視鏡で詰まりかけている胆管にパイプを入れ、生検、エコー、造影剤入りCT、PET検査…あっという間に膵臓がんステージ4、と診断がつきました。
腫瘍の位置が悪く手術できず、すでに、転移もしていたそうです…(転移がなければ放射線治療の道があるそう)
毎年人間ドックを受けてきたのに、タバコもお酒も13年前にやめていたのに…
沈黙の臓器と言われる膵臓は人知れず腫瘍を宿していたんですね。
何のための人間ドック? 病院の金儲けのため?
夫婦して、呆然として、どうしたらいいのか途方に暮れたそうです。
1回だけ受けた抗がん剤治療が苦しすぎて、緩和ケアに切り替えた時、お医者様に聞いた余命は半年、抗がん剤が効いても9ヶ月、と。
自分に置き換えてみたら…半年後にもうこの世にいないって簡単には想像がつきません。
思い残すことがないように、身の回りを整理して、伝えたいことを伝えたい人に話し、生きたいように生きる。
そうは思っていても、体が衰えていくので思うようにはならないし、終活は自分の人生の幕引きが近いのは寂しいです。
著者は新作短編集を出版する予定があって書き進めていたところで体調不良、癌が見つかりました。
書きかけの原稿を読んで、遺作にするには出来が悪いが書き直す時間がない…
「時間がない」ことがどれほど悔しいか、残念かと胸中お察ししました。
作家としてのプライドを感じる文章でした。
山本文緒さんの末期がん患者としての日々は、調子のいいときもあれば悪いときもあり、
調子の良い時は、あれ?癌、治った?と思うほど。
悪い時は、吐き気、倦怠感、発熱、痛みとの戦いでした。
夜中にお手洗いに起きるとご主人がリビングで居眠りをされていたそうです…起こそうかと思ったがそのままに。
この人が 「もうすぐ妻が死ぬ」ことから解放されるのは寝ている時だけだと思ったから。
あぁ、なんという思いやり。
2021年6月上旬、体調が悪くてもベッドの中でゲラ読みされてました。
単行本の発売を見ることができるのか…時間との戦いのような日々。
体力をつけるため、
「食べなくちゃ、と悲壮な覚悟を心にもって食べ物を口に入れた。」(P32)
うわぁ〜〜〜(泣)
美味しく、楽しいはずの食事が、まるで苦行のようで…お気の毒です…
過不足ない医療を受け、人に恵まれ、お金の心配もない状態でも、余命宣告をされると安らかな気持ちにはならない、と悟った著者は…
そんなに簡単に割り切れるかボケ!と神様に言いたい気がする、とまで ^^;
そうなんだ、私なら余命宣告された時点で諦めるかも、と思ったけれど。
ゲラ作業完成、本の発売は8月末か9月頭になる、と聞いて
それを見るまでこの世にいたいけれど、どうなるのだろう…
という山本文緒さんの、ちょっと先の未来が見えない辛さが伝わってきます。
Xデーは誰にもわからないから怖い。
人は誰でもいつか死にます、明日かもしれないし、何十年後かもわからない。
けれど、山本さんは長くても120日前後とわかってしまっています。
エンドがわかっているから計画的に生きられるともいえるし、
この世からいなくなるから未来を考えるのが怖いとも思います。
私はこんな日記を書く意味があるんだろうか、とふと思う(P38)
ノートにボールペンでちまちま書いてしまうあたり、承認欲求を捨てきれない小者感がある、と自嘲されています
ユーモアのある文章に、クスッと笑わされます。
でも、書いてくださって良かった、Amazonの評価で8割近い方が★5をつけてますものね。
最初はノートにボールペンで書き、その後はパソコンに打ち込んでおられました。
体力がなくなってからは、音声入力で。
6月21日
生まれて初めての酷い悪寒、30分で39℃までいきなり熱があがり嘔吐、痙攣のように震えが止まらない様子綴られていて恐ろしいです。
救急車で運ばれて入院した3泊4日は、精神的にもダメージを受けた入院だったそう
第2章 6月28日〜8月26日
6月28日
終活。
ご主人に銀行口座や各種ログインIDやパスワードの申し送り。
葬儀とお別れ会(近親者以外)の名簿作成…どんな気分なんでしょうか。
結婚式の名簿作成とは違う、友人知人との来し方を思い出だしながら選ぶ作業は、今生に未練が残りそう。
大量のブランドバッグを捨て、文緒さんが使っていた軽四輪車はディーラーさんに連れて行かれて…寂しいですね。
7月13日、病状は違うフェーズに入った気がする、と。
腹水が溜まって苦しい…腹水がたまるって…末期感がすごい、と著者。
この頃から、死が忍び寄っているのを感じておられたのかも知れません。
7月27日
ソファに5分も座っていられない、
縦にも横にもなっていられず身の置き所がなく寝返りを打って唸るしか無い、ですって。(これはがん患者の症状の一つだそうです。)
想像するのも辛い…
ご主人が山本さんに、気晴らしに本を読んであげる件は、仲良し夫婦のほっこり感に救われました。
7月28日
ステロイド薬を飲んで楽になり、食欲も出る。
7月30日にはすき焼きを食べれるまでに回復…8月に入って、お寿司、グリーンカレーまで!
8月3日
新刊『ばにらさま』の情報解禁があったけれど、発売の9月13日を生きて迎えられるのだろうか、という自問を読んで、また寂しい気持ちになりました。
優しい旦那様のサポートに加え訪問診療、往診、訪問看護…
自宅での緩和ケアは難しいイメージがありましたが著者のような例もあるんですね。
8月13日
1ヶ月ぶりに、膵臓がんステージ4を告げられた大きい病院へ。
エコーもCTもレントゲンも採血もなく、次回の予約も無し…ということはつまり…?
8月16日
8月17日のカレンダーのところに120日と書いてある。
4月の余命4ヶ月の宣告から120日、クリアした喜びは薄く、
あ、今日もまだ生きてるな。
すごく淡々とご自分を俯瞰している感じです。
次は10日後の新刊見本の日まで生きていたい
その次は新刊発売の9月13日まで
できれば誕生日の11月13日まで
その次は2022年を迎えるまで…。
8月17日
余命120日の次は180日だ、と、新たな目標。
180日は10月16日。
山本文緒さんが亡くなられたのは10月13日、余命半年を全うされました、よく頑張られました…
8月20日
出版社の方から著書『自転しながら公転する』が中央公論文藝賞を受賞した旨の電話。
おめでとう、と言われるたびに、追い詰められている気分になり落ち込む著者。
なぜ? すごく名誉なことで、賞を欲しい作家さんは大勢いらっしゃるはずなのに…
第3章 9月2日〜9月21日
9月2日
1週間、日記が書けず、第3フェーズに入った、と自覚するとともに、この先どう日記を書いていったらいいのか、また自問。
来週の自分の状態が予想つかないのは辛いですね。
9月3日
腹水を抜いてもらい楽になったと喜んでいたら、先生から週単位で時間を見て、会いたい人に会っておいたほうがいいと言われます。
死期が近づいている、と言う宣告、辛い。
9月7日
お母さんとお兄さんのお見舞いを受け、最後だから、お兄さんの手を握った、子供の頃以来のこと…
最後だから。 その言葉が重く胸に響きます。
お母さんに「痩せたね」、と声をかけると、お菓子の食べ過ぎで1キロ太った、と返ってくる件は、くすり、と笑わされてホッコリ。
9月11日
単なる体験記のつもりだったのに、PCAポンプ(身体につけた装置からポンプで少量ずつ鎮痛剤を入れる)を付けたことまで書いてしまった、と反省する著者。
終わりを目前にしても「書きたい」という気持ちが残っている、と告白。
さすが、作家さん。
山本文緒さんは『再婚生活 私のうつ闘病日記』も出版されています。
創作だけでなく、自分のことも克明に書き留めておきたいのでしょう。
9月13日
新刊『ばにらさま』発売日。
ひとつの目標であったこの日を迎えられてよかった!!
著書の発売は嬉しく、SNSでの評判も上々なのを知れて良かった!です。
第4章 9月27日〜
第4章は、9月27日、9月29日、10月4日の3日だけです。
体調が良くなったり悪くなったり…小さな症状が出ると明日のことが読めずに落ち込まれたようです。
この頃になると、「明日また書けましたら、明日。」の一文で締めくくられています。
9月28日
一日中うつらうつらしていたそうです、お薬の影響もあるのかも(モルヒネとか?)。
そんななか、カップラーメンを食べる著者。
「どうしても食べたかったの、カップラーメン」の言葉が切実。
この頃(亡くなられる2週間前)になると 痛い、つらい、むくみなどはないけれど
何だか自分が変になってきているという感覚はある、と。
えっ? こわい…自分が自分でなくなっていく感覚でしょうか…
10月4日 最後の日記
とても眠くて、お医者さんや看護婦さん、薬剤師さんが来て、その人たちが大きな声で私に話しかけてくれるのだけれど、それに応えるのが精一杯で、その向こう側にある王子の声がよく聞こえない。
今日はここまでとさせてください。明日また書けましたら、明日。
引用元:『無人島のふたり』P168
絶筆。
あぁ、終わってしまった…。
亡くなる前に声が聞こえているようないないような、朦朧とした感じがあるのはなんとなくわかります。
それを患者側から発信されているのがすごい。
「その向こう側にある王子の声」…旦那様の声ですね、王子、と呼んでおられたのね。
最後まで「明日書けましたら」とおっしゃる、書くことへの執念にも脱帽です。
このような状態でも、明日、とおっしゃる前向きさに驚きます。
本のページが残り少なくなるとドキドキします。
Xデーはどのように訪れるのかと思いましたら、亡くなられる9日前で終わっています。
ホッとしました。
本のタイトル、『無人島のふたり』、はP38の
「突然20フィート超えの大波に襲われ、ふたりで無人島に流されてしまったような、世の中の流れから離れてしまったような我々」 からか…
患者として日々どのように生きておられたのか知りたくて、読みましたが、思った以上に気づきと学びと感動を頂きました。
書籍化の話に、こんなの読みたい人いる?と仰っていた山本文緒さんですが多くの方が読み、高評価。
闘病で苦しい中、書いてくださってありがとうございます。
ご冥福をお祈りいたします。